プロのプレーヤーとして生きる矜持は?

車いすバスケットと人間・野澤拓哉について

2014年10月1日
野澤拓哉の人間的魅力はいっぱい!その一つは明るさだ。

2020年は東京五輪、そしてパラリンピックが開催される。

そこで、野澤拓哉に聞いてみた。「アスリートとは何か?」

富山県内を拠点に活躍するプロの車いすバスケットボール選手、

野澤の答えは「限界を超えようとする人のこと」。

では、野澤にとっての限界とは?

熱く燃えるアスリートの魂に触れた。

■ゴールリングの高さは床から305㌢

「ゴールリングの高さは床から305㌢。同じ(・・)ですよ(・・・)」

野澤は、「同じ」という言葉に力を込めた。

 野澤が所属する富山県車いすバスケットボールクラブ(富山県WBC)のメンバーには健常者もいる。「もし、自分がチャレンジしたら……」という発想で競技を見た場合、求められる体力、技術、精神力のいずれもが我々が慣れ親しんできたバスケットボールよりハードであるように感じる。

「これは、なかなか大変なスポーツだぞ」

脚を車いすに固定するので、下肢を使って反動をつけたり、踏ん張ったりという動作が制限される。したがって、パワーをため、それを爆発させるのはすべて上体の運動能力による。

日本代表レベルである野澤の動きを見ると、「さすが」と思わずにはいられない。シュートする瞬間、Tシャツの胸に書かれた「JAPAN」の字が上下左右にぐんと広がるほど上体がしなる。走り出す時に前傾し、急停止の際は大きく上体を反らして転倒を防ぐ。いずれの動きも緩急が絶妙。隆起した上腕の筋肉や上体のしなりが、助走や跳躍に劣らぬ動作の「ため」をつくっている。

車いすのスピード感や、車いす同士が接触する際の激しさは未知の世界のスポーツだ。初めて見た人は誰も、純粋に「車いすバスケットボール」という競技の面白さにもひかれる。

■心技体を兼ね備えたアスリートの「心」

人間・野澤拓哉について、その人生に踏み込んでみたい。心技体を兼ね備えたアスリートの、とりわけ頑丈な心がなぜはぐくまれたか――。どうしても理解してもらいたいと思うから。

6歳の夏のこと、兄、近所に住む友達、その兄弟と遊んでいた。ファミコン世代ではあるが、体を動かす楽しさも知っている幼い少年たちは、好奇心にまかせて次から次へと新しい遊びを考え出していく……。そんな中、事故は起こった。友達兄弟の兄の方が弟を逆さ吊りにし、ぐるぐる回す姿を見て野澤は「ぼくも!」とねだる。腰に大きな負荷がかかり、「ブチッ」と音がして激痛が走った。脊髄梗塞(せきずいこうそく)により以後、下半身の自由が効かなくなってしまった。

「いつかは治る。脚が動くようになる」

 10歳ごろまでは回復を信じていた。その後、障害という現実を受け入れる段階で絶望しなかったのは、スポーツをやめなかったから。小学5年時にチェアスキー、6年生の終わりごろには車いすバスケットボールを始めた。小矢部市立大谷小から大谷中と進み、障害の有無にかかわらずバスケットボール部の仲間や同級生と一緒に成長していくことができたのは野澤の人間性によるところが大きい。スポーツとは、楽しむべきものだという思いが常にある。

「楽しんで生きていければいい」

回復をあきらめても、スポーツはあきらめきれなかった。

■あこがれはカナダ代表のパトリック・アンダーソン

 大多数のスポーツが好きな少年少女が、プロスポーツ選手や五輪選手にあこがれるように、野澤にも心ときめくスター選手がいる。アテネパラリンピックカナダ代表のパトリック・アンダーソン。中学生の時、北九州市で開催された世界選手権でアンダーソンのプレーを目の当たりにして衝撃を受けた。ボールが手に吸い付いているようで、コート内を駆けるスピードがハンパなく、車いすを操作する技術もずば抜けている。

 「車いすでここまでできるのか! 真似してみよう」

野澤はその後、理想のアスリート像にアンダーソンを掲げて鍛錬に励んでいく。石動高3年時には国内で3人の推薦枠に選ばれて米国・イリノイ大で行われたエリートキャンプに参加し、「ただひたすらにハードなトレーニング」(野澤)をこなした。

大学進学に際し、車いすバスケットで全国2位のチームである千葉ホークスに入団するため、千葉県内にある淑徳大を選んだ。大学在学時には千葉ホークスの3連覇に貢献し、2008年にはオランダで開催された世界選手権に出場するなど、着実にキャリアを重ねていった。

紆余曲折はあった。2011年にIT企業のティージー情報ネットワークが「障害者アスリート雇用」という形でプロ選手としての活動を認めてくれるまでは仕事と競技の両立に悩んだ。2012年にはチェアスキー中に頭部を強打するけがを負ってリハビリを強いられるなど、順風満帆なアスリート人生ではなかった。しかし、車いすバスケットボールにおいて、挑戦を続けることはあきらめなかった。

■「きょうの限界を超える気持ち」が成長を支える

練習が終わると野澤の両手には疲労の色がにじむ。リムを握って押し、引き、時にはリムから手を離してボールを受け取り、パスやシュートを放つ。手のひらは硬く、熱く、黒ずんで、痛々しくもある。「きょうの限界を超える気持ち」がアスリート・野澤の成長を支えている。

「たら」「れば」と言っても仕方ないが、どうしても尋ねたかった二つの質問をしてみた。最初の質問は、大きなけがを負わなければよかったと思うか?

「6歳の時のけがが重くなかったとしても、またふざけて危険な遊びを繰り返していたと思う。そしてどんどんエスカレートして、命を失うほどの大けがを負っていたんじゃないか。あるいは、友達にけがを負わせていたかも……」

 自分の過去を振り返り、想像力をたくましくして今の自分に至る経緯を受け入れている。

「逆さ吊りしてぐるぐる回して……はぼくが望んだこと。誰も恨んでいない。今だから思えるのは、あの時のけがが神様からのプレゼントだということ」

 心の強さは常人の限界を超えている。野澤の「限界」という言葉には常識、固定観念、ボーダーラインなどの意があろう。

二番目の質問は、車いすバスケットボールと出合わなかったら人生は楽しくなかったか? ということだ。

「車いすの生活になってしまったことで、スポーツと関わることをあきらめる人が少なくない。でもそれはいけない。障害があってもスポーツはできるし、障害がない人でも車いすバスケットをすればいい。とにかく、車いすバスケットが好きな人を増やしたい。ただ、それだけ」

■常識、固定観念、ボーダーラインを超える必要性

野澤は出前の車いすバスケット体験教室を開催する機会をもっと増やしたいと願っている。その熱意にもかかわらず現在、車いすバスケットボールができる施設は県内に3か所程度しかない。転倒した際、車いすのフレームが床に当たって傷つくなどの理由から、なかなか使用を許可してもらえないのが現状だ。競技の普及を目指して体育館や学校に掛け合ってみたものの、「シュート練習に限って認める」など、納得のいく回答は得られていない。多くのスポーツ施設はバリアフリー化され、障害者用のトイレを備えて利便性を配慮しているにもかかわらずだ。

では、健常者の側に差別意識があるのかといえば、もちろん違う。ただ、「リハビリではなく高い競技性が求められる」「障害者アスリートによるスポーツ」といった野澤たちが生きるスポーツ界についてよく知られていないからだと考えられる。したがって、障害の有無を超えて競技団体同士が理解を深め、施設の修繕費を分担するなど、共存に向けていろんな仕組みを整えていくことが必要である。

常識、固定観念、ボーダーラインを超える必要性は、アスリートを支える人たちにも求められる。

「健常者も車いすバスケットボールを体験してほしい。ゴールリングの高さは床から305㌢。同じ(・・)ですよ(・・・)」

野澤はあらためて強調した。

※参考

・富山県WBC

http://toyama-wbc.com/

・富山県WBCフェイスブック

https://www.facebook.com/toyamawbc

・日本車椅子バスケットボール連盟

http://www.jwbf.gr.jp/

「にこやかな表情でお願いします」とリクエストしたので笑顔でシュート。しかし、試合中の表情は厳しい。
車いすは細部まで機能性と強度を考えて作られている。近づいて細部に目をこらすと、技術者のこだわりが見えるのでお試しあれ。
ゲーム形式の練習ではアイスホッケーのようなスピード感を感じる。