大西容平選手インタビュー/カターレでの5年を振り返る

「苦しくも貴重な経験。精いっぱいやった」
「カターレには可能性がある」

2015年12月8日
5年プレーしたカターレを去る大西選手(右から2人目)

 カターレ富山は初めてのJ3で5位に終わった。J2復帰の目標達成は来季に持ち越され、クラブは選手契約などのチーム編成にすでに着手している。
 2011年から在籍した33歳のMF大西容平選手は契約満了により今季限りでクラブを去ることになった。カターレでのリーグ戦出場は161試合で、Jリーグ入会後ではMF朝日大輔選手の196試合、MF木本敬介選手の193試合に続き歴代3番目に多い。同出場時間は13,227分で朝日選手の15,128分に次ぐ。確かなテクニックと豊富な運動量、高い戦術理解力は監督、そして仲間からの信頼が厚かった。「自分は特別なことができる選手ではない」と語り、フォア・ザ・チームに徹してきた彼にカターレでの5シーズンを振り返ってもらった。

・写真/5年プレーしたカターレを去る大西選手(右から2番目)


――11月21日にカターレとの契約満了が発表された。来季も現役でプレーする予定か。
 (プレーできる)チームがあればやるし、なければ辞める。(契約に至るには)条件も考えなければならない。必要としてくれるクラブがあれば、やりたい気持ちはある。(契約満了は)いつかはくること。初めてではないし、毎年そういう心構えはもっていたので。

――甲府から2011年に移籍して5シーズン。常にカターレの中心選手としてプレーした。
 あっというまだった。J2からJ3に落ちる経験もした。貴重な5年間だった。充実していたし、練習から精いっぱいやった。まったく後悔はない。チームの成績については申し訳ない気持ちでいっぱいだけど…。自分の仕事はまっとうできたと思っている。

――5年を振り返って印象に残っていることは。
 昨年は苦しかったし、チームをJ2から落とした。印象に残っていることを挙げるとすればそれが一番。
 (当時の)竹林強化部長、安間監督が誘ってくれてカターレにくることになった。(J2でまだ2シーズンしか戦っていない)下位のチームだったし、「どうなるんだろ」という(不安な)気持ちはあった。しかし、みんなまじめに取り組んでいて、すれていないというか。良いチームだなと思った。
 6年在籍した甲府は上位にいるクラブだったから、初めてこんなに負けるのを経験した。苦しいことが多かったけれど、勝ち続けること、結果を出すことが、どれだけ難しいか分かった。それも自分にとってよかったと今は思う。よい経験をさせてもらった。

――思い出に残っている試合とかプレーはあるか。
 自分のゴールとかではないですね。うーん。何だろ。移籍して最初の年の開幕戦で横浜FCとやった試合はよく覚えていますね。すごくよかったな、というところで印象に残っている。キャンプからずっと取り組んできたことができたし、1点取られてからの逆転だった。

――黙々と、地道に、日々を積み重ねてきた印象がある。
 そうですね。それは甲府時代から変わらない。一気にうまくなったり、できることが増えたりすることはないから。本当に練習の時から百パーセントでやってきた。

――「容平さんが交代でいなくなってチームが混乱した」という選手の話を何度か耳にしたことがある。ピッチ内外で大西選手を頼りにしていた選手は多かった。
 自分のことで精いっぱいでしたよ。そういうふうに自分では思っていなかった。ただ、チーム内でも年長になったので、若手らまわりから見られているというのは頭に入れていた。言動に責任があると思って気をつけていた。誰かに対して、何か特別なことを言ったというのはない。

――チーム事情に合わせていろいろなポジションもこなした。
 ギャップはありましたよ。(甲府では主に2列目の)攻撃的なポジションでやってきたので、最初はゴールに絡みたかったし、自分で点も取りたかった。3バックを採用していた時の外(ウイングバック)や、ボランチとだんだん下がってきた。でも、それはそれでよかったかな。ポジションはあまり意識せず、与えられたところで自分の出せるものを出そうと考えていた。

――年齢を重ねて伸ばしていけた点は。
 コーチングは練習から意識するようになった。特に安間さんの時には求められていたので。でも、直接的に「そうしてくれ」と言われたわけではないんですよ。あと、昔みたいに、「自分が、自分が」というのはなくなりましたね。

――安間監督とは甲府時代から長く一緒にやってきた。
 (安間コーチ時代を含めると大学を卒業し)最初に入った時からですからね。当時の監督が大木さんだったのもよかった。自分は恵まれていたなと思う。

――まだ草創期のカターレを「クラブとして成長させたい」という気持ちもよく口にしていた。
 上位争いをする緊張感をみんなに味わってほしかったし、自分ももう一度味わいたかった。それが残留争いになってしまった。そう考えると、力不足だったなと思う。

――クラブとして、チームとしての変化は感じるか。
 まぁ、言いにくい部分もあるから(苦笑)。(もともと企業チームが母体となっていて)フロントを含めたクラブとして、徐々に変えていこうというのはあったと思う。それは感じた。
 選手もまだ甘いかな。練習の緊張感はもちろんあったけれど、それがだんだん落ちていったかなというのはある。移籍して最初に感じたチームの印象は雰囲気がプロっぽくない、というか、大学生の延長みたいだなというものだった。それが少しずつ変わってきていたが、また戻ってというぐあいだった。危機感とか、なにかを背負ってやる、という雰囲気はでてこなかったかなと思う。
 これほど選手全員の仲が良いチームはないと思う。もちろんグラウンドを離れてみんなの仲がよいのは良いこと。しかし練習ではもう少し緊張感がいるのかな。J2に上がる、そしてJ2でも上位で戦いたいならなおさら。結果が出ないとそれが原因だと言われても仕方がない。

――今後のカターレへの期待、激励の言葉を聞かせてほしい。
 クラブとすれば、こんなによい環境はなかなかない。専用グラウンド、クラブハウスもある。選手も、フロントも、もうあとはやるだけ(の状態)。可能性は本当にある。それに気づいて、生かせるかどうかだと思う。クラブ全体で、J2に昇格するだけじゃなく、J1で活躍するクラブを目指してほしい。選手は上でやりたいという気持ちを強くもち、一日一日を大事にして、練習からやればよい。フロントは長期的にも考えなければいけないから、クラブ一丸というか、方向性をもってぶれずにやってほしい。

――いずれは指導者でカターレに戻ってくるかもしれない。
 縁があれば。30歳を超えるまで指導者になるなんてずっと頭になかった。練習メニュー一つひとつの意図などは考えるようになったと思う。
 ほかのクラブに行っていたらもう引退していたかもしれない。(プロなので自分がどこでプレーしたいかよりも)クラブが必要としてくれるかどうか。こういうふうに同じクラブで長くやるというのは、Jリーグも今は競争が厳しくなり少なくなってきていると思う。
 いろんな経験をさせてもらった。J1からJ3までできた選手はあまりないかなと思ったりもする。現役を続けるにしろ、引退してサッカーに携わるにせよ。どんな職業についたとしても経験は伝えていきたい。

(12月2日取材、聞き手・赤壁逸朗)